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薬師寺 写経勧進

古い写経用紙が出てきた
おそらく平成23年に薬師寺を訪れたときに購入したものと思われる
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この時のものであろう
暇に任せて筆ペンで写経した
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意味も分からないが般若心経を写経
般若心経の心は 空 だというが、ますます分からない
無はわかるような気がするが、空はわからない
種田山頭火は
「無にはなれるが空には慣れぬ」と言っている
後胤高田
高校生のころ薬師寺を訪れたときに、この人の講話を聴いている
内容は覚えていないが楽しい講話だったことをよく覚えている
ウィキペディアから引用
1967年、好胤が管主に就任すると金堂の再建を志し、ついで西塔、中門、回廊などを次々と再建した。特に西塔の再建については強い世論の反対があったが小説家でフランス文化相だったアンドレ・マルローの賛意を背景に実現した。その是非については現在も議論が分かれている。再建費用は大きな課題であった。金堂の再建だけでも約10億円が必要だったが檀家組織を持たない薬師寺にはその負担をするのは困難であった。そこで高田は全国の篤志の人々から一人1000円の写経納経の供養料を集める勧進を行い、これを賄おうと考えた(写経勧進)。一人1000円では100万人の写経が必要であった。当初は一年に一万巻しか集まらなかった。好胤は全国、800以上の市町村で8000回におよぶ講演をして周った。好胤の書籍出版が好調だったこと、三越百貨店での月光菩薩展示も追い風となった。これによって復興事業は一挙に進んだ。1976年には念願の100万巻が達成され、同年、金堂が再建された。その後も写経勧進は進み、1997年には600万巻にのぼった。写経勧進は現在も薬師寺の大きな柱の一つとなっている。好胤の没後、大講堂が落成している。建物の再建には法隆寺の宮大工として知られる西岡常一が当り、千年先のことまで考えて建てたという。金堂にコンクリートを使うべきかどうかで行政当局と論争になった。西岡はコンクリートは300年しか持たないが、木は1000年持つと主張したが、結局一部コンクリートを使うことになった

甚右衛門は高田好胤の生き方が好きだ
コマーシャル坊主と言われながら頑張っていた姿が目に浮かぶ
甚右衛門も建築屋のはしくれだから今でも時々写経勧進をする

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♬思い出の今日の一曲♬


心をこめて写経   甚右衛門が行く

はぶ あ ないすでー

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プロフィール

甚右衛門

Author:甚右衛門
新潟県上越市いなか区大字いなか字いなか在住 
団塊世代の無職の爺さん 
妻と二人の年金暮らしの貧乏生活
血液型B型 
性格天然ボケ最近特に熟してきた感じ 
趣味 書道 歴史 岩魚釣り ギター 
スキー ゴルフ ガーデニング 
全部中途半端

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