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8月6日 70年前も暑い一日でした

暑い一日でしたね、でも・・・70年前に比べたら…なんと幸せな一日
甚右衛門は戦争を知りません
広島に原爆が投下されてから3年目に生まれました
団塊の世代の人は皆戦争が終わってからですよね

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歳をとったせいか涙もろくなってきて・・・
昨日の新潟日報「日報抄」を書き写していて涙が止まりませんでした
広島への原爆投下によって子供たちがなめた辛酸を書き留めた日記「空が、赤く、焼けて」
(著者は奥田貞子さん)が紹介されていました

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丁度8:15黙祷の時間でした
投下された翌日親類を探すため被爆地に入り見たものは沢山の子供たちの惨状だった
怪我をした兄妹に出会う 両親は行方不明だ、お結びをあげると、5歳の妹が言った
「お兄ちゃん、みんな食べないで・・・お母様にもあげようよ」
4年生の兄
「お母様には、お兄ちゃんのを半分残しておくから、みどりは心配しないでお食べ・・・」
奥田さんは
「ここに居て」
と約束の指切りをしようとするが、二人の手は皮がむけ骨が見えていた
現場を離れて再び戻ると、兄妹は抱き合うようにして息を引き取っていた
兄の手には半分のお結びが・・・

ここまで書いた時、書き写しノートの上に涙が・・・・・

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日本人は、あの夏の暑い日を忘れてはいけない
世界で日本だけに投下されている原子爆弾

日本は「不戦の誓い」を再認識しないといけない
安保関連法案を含めて!

♬思い出の今日の一曲♬


涙にむせび     甚右衛門が行く

はぶ あ ないすでー

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もらい泣き。。。

甚右衛門さん。こんにちは。はじめまして。『野の花日記』のマリコと申します。

「 故郷の街焼かれ 身寄りの骨埋めし焼け土に・・・」
一緒に歌って、泣いてしまいました。
辛く悲しい歌ですね。
幼い兄弟の話にもらい泣きをしました。←コメントせずに居られませんでした。

私は幼稚園で毎日朝礼で宮城遥拝をし、戦争ごっこに明け暮れていました。

小学1年生では教科書の「サイタサイタサクラガサイタ」「ススメススメヘイタイサンススメ」を墨塗りし、
講堂からは天皇陛下と皇后さまのご真影が片づけられ、
学校の玄関脇から二宮金次郎の銅像がどこかへ運び去られ、
食べるものも、着るものも、穿く靴にも事欠く
敗戦後の貧しい生活を経験しました。

小学生時代、ラジオドラマ菊田一男原作『鐘の鳴る丘』を聴き、映画『鐘の鳴る丘』や新藤兼人監督の映画『原爆の子』を見て、「戦争はしてはならない」と強く影響を受けて育ちました。

沢山のたくさんの命、300万人の同胞が太平洋戦争で死にました。
この70年間、日本人が戦争で誰も殺されず、誰も殺さないで「平和」の日々を過ごせたのは「平和憲法」のおかげだと思っています。

この平和の日々を戦争にかり立て葬り去ろうとする安倍政権に強い怒りが湧きます。
今また、岸信介(A級戦犯)の孫である安倍晋三が60年代安保闘争の時代を再現しています。

>日本は「不戦の誓い」を再認識しないといけない。

衷心よりそう思います。
国民の一人として、こうしてブログに書いたり、デモに参加したり、できることをしたいと思っています。

勝手ながらリンクさせていただいて居ります。よろしくお願いします。

No title

マリコさん こんにちわ
マリコさんは戦争体験者なんですね
戦争について、おっしゃる通りだと思います
奥田貞子さんの日記の二人の兄妹の亡くなったであろう母親の無念を思うと胸が痛みます。
まだこの時生きていたとしたら焼野原を気違いの様に走り回り我が子を探す母親の姿を思うと涙流れて止まりません
甚右衛門は貧しい生活でしたが幸せでした戦争もなく
おっしゃる通り平和憲法の御蔭と思っています
「不戦の誓い」を新たにしましょう
プロフィール

甚右衛門

Author:甚右衛門
新潟県上越市いなか区大字いなか字いなか在住 
団塊世代の無職の爺さん 
妻と二人の年金暮らしの貧乏生活
血液型B型 
性格天然ボケ最近特に熟してきた感じ 
趣味 書道 歴史 岩魚釣り ギター 
スキー ゴルフ ガーデニング 
全部中途半端

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