父の遺品・・・!
高価なものではないが今でも甚右衛門宅の床の間を飾っている
掛け軸と額・・・


亡くなった父が大事にしていた 増村朴斎の書
当時ボロボロ触ると壊れるほどだった
父が亡くなった時捨てようかと思ったが・・・
「爺さんが大事にしていたものだ…」
と思い 表装しなおそうと知り合いの表具屋に出した
額が3万円 掛け軸が3万円 びっくり
6万円も出せば立派な新しい掛け軸が買える!
表具屋さん曰く
「甚右衛門さん朴斎の書は結構な値段をしているが朴斎学人と名が書かれている物は安いんだよ
朴斎学人署名されているのは自分の教え子に書いてやったものだから・・・
だけど表具を更新する価値は十分あるよ」って
我が家に有る額も掛け軸も朴斎学人と署名されている
其れもそのはず・・・父が先生にお願いして書いてもらったもんだと父は言っていた
目の前で・・・「書くから墨をすりなさい」と言われて墨をすったといつも言っていた
父には金には替えられない価値と思い出があったのだろう
増村朴斎は有恒学舎現在の県立有恒高校の創設者である

経緯
有恒高校の前身である私立有恒学舎は、明治29年、私財を投じた当時29歳の増村朴斎により、独力で創立された。かつては”西の松下村塾、東の有恒学舎”とも呼ばれており、朴斎の教えは現在の有恒高校にも受け継がれている。有恒学舎創立の時に、元幕臣の勝海舟が校名を書き送った。また、明治39年からは会津八一が4年間在職し、英語を教えた
甚右衛門の自宅から有恒高校まで片道20Kmはある
父は徒歩で通ていたという(冬は雪で通えないので学校の近くで下宿をしていた)
甚右衛門なら一日行ったら明日はお休みだよ・・・・
♬思い出の今日の一曲♬
・・・・・・・ 甚右衛門が行く
はぶ あ ないすでー
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朴斎学人署名されているのは自分の教え子に書いてやったものだから・・・
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父には金には替えられない価値と思い出があったのだろう
増村朴斎は有恒学舎現在の県立有恒高校の創設者である

経緯
有恒高校の前身である私立有恒学舎は、明治29年、私財を投じた当時29歳の増村朴斎により、独力で創立された。かつては”西の松下村塾、東の有恒学舎”とも呼ばれており、朴斎の教えは現在の有恒高校にも受け継がれている。有恒学舎創立の時に、元幕臣の勝海舟が校名を書き送った。また、明治39年からは会津八一が4年間在職し、英語を教えた
甚右衛門の自宅から有恒高校まで片道20Kmはある
父は徒歩で通ていたという(冬は雪で通えないので学校の近くで下宿をしていた)
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